令和維新のための沖田維新!

n-techの学びを通して、人間脱却を目指す一人の武士の記録。

肉体的な破滅

肉体が死んでも魂は死なない。

 

そんな風に考えると、肉体が滅んだとき、この頭の中に残っている意思や心はどうなるのか?とても不安だった覚えがある。

 

しかし、肉体も魂すらも、それすらも全ては無である。その無から有が生まれていると知った時、ある意味、すべては何かしらの役割としてその姿を模しているとわかった。

 

肉体に対する不安がどうしても、職業上ある。しかし、経営者である限り、社長は最も働かねばならない。

 

だからこそ、肉体が悲鳴をあげても、また立ち上がり、戦えるのだ。

 

でも、その概念もある意味、ドMの理論であり、誰かの成功理論であるだろうから、やはり誰かに助けを求める。

 

そんな揺れ動く、心を持つのが人間なのだ、と噛み締めながら、今日も自由に生きようと思えた。

 

整体楽しいし、事業も楽しい。今年中に一億円稼げそうだ。

 

合掌

自由になりたい!

今日はおかげ様で、満員御礼。

 

とてつもなくありがたいことだが、気持ちのどこかで、もっと楽に、そしてもっと楽しく、お金を稼ぎながら、好きな人と一緒にいながら、人生を謳歌したいと思ってしまう。

 

セミナーでの収入や、整体のライブ中継、メルマガによる固定収入やコンサル収入など、ありとあらゆる方法で、自らの知識や経験をマネタイズできるはずである。

 

しかし、心の奥底では、お金などの概念のない、ただ目の前の人を救いたい、仲良くなりたい、愛したいと願う、その純な心で、人と接したいと思うときもある。

 

お金やルールの足枷で、自由がない世の中だ。

 

目に見える世界には、自由はない。

目に見えない世界は、自由しかない。

 

目に見えない世界も感じ、見てみよう。

 

合掌

何のために働くのか?

月末が近くなり、初経営として、利益計算。初月から黒字は行かないぞ、と多くの経営者から言われ、計算したところ、やや赤字気味。しかし、ほぼ営業でのお金を使ったため、赤字に転じているが、内容的には、黒字。

 

少し気持ち的にお金の稼ぎ方や働くことの意味を再度、考えていた。

 

何のために働くのか?

 

自らの生きがいのため?

家族を養うため?

 

色々な大義名分があるが、答えは一つ。

 

この世で全ての人のつながりを作るため。今ここ一つになるために、この命を与えられているのだと。

 

昨日は、新宮マルシェで多くの方の笑顔に貢献できた。そして、夜は一人の知人の魂からの話を聞き、その知人の心の支えになれた。

 

その集積の結果が、お金というお礼やご紹介というお礼につながるのであろう。

 

人と人とのつながりから生まれる、このありがたい連鎖に、今一度、感謝して。なおかつ、お金稼ぎもいいもんだ!という新たな解釈も見つけると、自然と心が楽になる。

 

良いことやって、お金を儲けて、最高じゃないか。愛ある経営で、世の中を救いたいものである。

 

合掌

未来に対する不安

5月末にて、院もおかげ様で、予約が100人を突破した。順風満帆であるが、しかし、同時に不安もこみ上げる。

 

初回が激安であり、院での整体が良いため、多くの方に来ていただいているが、果たして、6月から初回の値段が上がった時に、みんなは来てくれるのか。

 

言いようのない不安を抱えながらも、やることはただ一つ。多くの方に伝え、多くの方の身体を癒していくのみ。

 

その中で、心で唱えるのが、今ここ、最高。

 

今、この瞬間も最高にハッピーであり、最高に人類最高の叡智が、もらえるのだ。

 

そう思うと、世界一の経営者になることも、世界一の整体師になることも、そう難しくはない。

 

生きている、今、この瞬間も常に138億年+1秒の可能性の拡大の連続なのだから。

 

無に帰れば、そこに答えはあるし、みんな答えを持っている。その答えへの道をみんな忘れているだけだ。

 

脳の観点を知り、そして、外して、物事や自分の心を見つめると、不思議と落ち着くのだ。

 

全てはまやかしであり、愛こそ、全てのつながりだということが明確にわかる。

 

今日は久しぶりの休み。しっかりと自分自身を見つめ、ただこの時を楽しもう。整体に没頭するという役割を一旦停止して、今ここひとつで今日は生きてみよう。

 

合掌

言葉の魔力

馬の耳に念仏。

 

馬にとっては、ありがたいお経の言葉もあまり意味を成さないという意味だが、これは全てにおいて言えるのではなかろうか。

 

大好きと言われたから喜び

 

嫌いと言われたからムカつく

 

しかし、その言葉には、他の動物や植物からすると、ただの音にしか聞こえない。意味は解釈の仕方でしかないからだ。

 

しかし、言葉自体に意味はなくとも、その言葉に乗せるエネルギーには、良いものと悪いものがある。それが、他の万物万人に影響を与えるのだ。

 

それもある意味、エネルギーという概念すら、本当は完全無から生まれているのなら、完全無である我々が、これまた脳の観点で受け取っているに過ぎない。

 

そうすると、夫婦の言葉や態度でイライラするのも、結局は思い込みなのである。

 

言葉は人が作った最高の道具であり、最強の思い込み作成ツールでもある。そんな気がしてならない。

 

そんな言葉を、私は整体において、実に多用する。人をより良くするためには、言葉の魔力も必要なのかもしれない。

 

合掌

神さまの信仰について

神さまは、偉大である。神様に逆らうと、バチが当たる。人は神様である。お客様は神様である。

 

確かに土地の神様や神社など、神は存在するのであろう。

 

しかし、その土地に行かなくとも、今ここ、全ては無であり、一つであるならば、心で大切に祈れば、大丈夫なのではないか?

 

時間も空間も何にもない。であれば、神と人も虫も動物もゴミも全て、差などない。

 

だからこそ、私は全てを大切に扱うことに決めた。院の前のゴミも神様を拾い上げるように。大切な社長に接するかのように、どんな人にも優しく接する。

 

全ては愛であり、実践こそ生活の知恵である。

 

頭で学んでも身体で実践しなければ。それすらももしかしたら、思い込みかもしれないが、この世界では肉体があるおかげで、想念だけでは思い通りにはいかない。肉体が動いてこそ、体現できる世界である。

 

良い世界に生まれたものだ。令和の時代に。今ここ、最高。

 

合掌

仲間とのぶつかり合い

最高に仲が良く、仕事における息もピッタリな最高のパートナー。

 

しかし、そこにあぐらをかいて、なんでもあり、わがまま放題もいかがなものか?

 

私も人間だから、ミスもするし、そのミスに対して、なぜああもわがままで片付けるのか?

 

と、こんな風に感じるのも仮想現実であり、役割絶賛演劇中だなぁと感じて、イライラするも、すぐに鎮火。

 

これも人の脳がなせる技、いや業であるな、と俯瞰して、良いイメージを持ち、ただただあった出来事を受け入れる。

 

そのまま、それも最高なことだ!感情出してオッケー!黙ってもオッケー!何してもオッケー!今ここ、最高!最強!

 

そう捉えたら、イライラ消えたのでした。

 

経営者として、これから活躍するのであれば、ここら辺も気持ちが整理がより早くできると、うまくできそうだなぁ。

 

脳の観点地獄にまた、一つ気付かされた良い日でした。仲間とのぶつかり合いもまた楽しからずや。

 

今ここ、目で見ちゃダメ!

 

今ここ、最高!尊厳!!!

 

合掌