令和維新のための沖田維新!

n-techの学びを通して、人間脱却を目指す一人の武士の記録。

人と人とのご縁のつながり

今まで、自分以外の人間を否定し続ける人生だった。

 

他人はすごくなく、自分だけがすごい。自分が努力したから今の結果があり、自分の力は凄いんだと思い込んでいた。

 

しかし、自分の整体としての能力が発揮できるのも、結局は人のおかげ。人がご縁を繋いでくださるから、自分のお役目があるだけで、自分1人の宇宙では、それはエゴの世界だし、我欲の世界だし、脳の観点に囚われている世界。

 

全て一つと思えば、目の前の人も国王として扱うぐらい大切に慮るべきである。全ては一つだから。

 

その気持ちで、臨床と向き合うと、また新たな発見が見えてくる。

 

セラピストとして、そして

一人間として。

 

その万人統一の法則を会得したいと感じている。それも日々の積み重ねである、

 

必ずや、年収一億達成するし

自分の身体が劇的に軽くなるのだ。

 

全てはひとのご縁から始まる。

 

合掌

感情を吐き出すということ

今までは感情を吐き出すことを抑えていた。感情を出すことは、悪いことだと捉えていた。

 

しかし、それも人から言われたこと。思い込みの積み重ね。

 

感情を出すと、こんなに楽で楽しいんだ!人生、捨てたもんじゃない!

 

喜怒哀楽、あっていいじゃないか。

人間だもの。

 

合唱

 

 

自然が全てなのか?本当にそうか?

自然原理を元に、私は整体をしてきた。何よりを自然原理こそ、先生であり、身体が本当に良くなるからだ。

 

しかし、長く生きて環境に適応しているから、自然を先生と言っているだけなのか?とふと気付かされた。

 

100年生きる人間よりも、何千年も生きてきた自然の方が先生だと。

 

しかし、自然よりももっと前に生まれた宇宙、無限大の世界から見たら、自然すらもちっぽけになるのだろうか。自然から見たら、宇宙は先生になるのか。

 

その宇宙すら、何もないところから生まれている。無限大の可能性から。

 

だとしたら、人の身体の原理原則は、宇宙すらも生まれた無限大の可能性の原理原則に則って動いているのではなかろうか。

 

そう捉えられるよう、脳の観点を取っ払えば、病気や医療、そして整体もまだまだ真理を捉えていないことがわかる。

 

私も世界一と言っているようでは、まだまだだと気付かされる。

 

たった一つの真理を、ただひたむきに追い求め、探し、自分の内側と向き合う。その中に、本当の意味での健幸があることを信じ、そして、お互いがお互いを治し癒し会える社会を作るために。

 

自然原理すら、全てではないと捉えると、また一つ。頭が少しスッキリした。脳の思い込みは恐ろしいものである。しかし、楽しいものである。

 

合掌

人を良し悪しで判断するクセ

人を見た目や地位で判断するクセが自分にはある。自分の生きてきて勝手に生得的に身につけたルールで人を見ているのだ。

 

自分のルールは、他の人から見たら、ルール外だし、むしろ、他の動物や植物から見たら、そんなものすら存在しない。

 

人間が勝手に決めたルールで、人間は勝手に苦しんでいるんだろう。

 

脳の観点の恐ろしさと、それをうまく使えば、みんなが理想郷に向かうことも可能になる気がする。身体のクセを克服した今、次は心のクセ、脳のクセを克服して、本物の組織を作る時期に来ている。

 

良し悪しは、自らの価値観で決めたもの。ということは、それすらもルールを外すことも自分で決めることができるはずだ。

 

事業ミーティングでも、いかに我をを見つめることができるか。楽しみである。

 

合掌

お金との向き合い方

お金が昔から無いのが、気にしないようにしているつもりだが、いつも気にしていた。

 

お金がある人がすごい、お金がない人はすごくない。勝手にそんな線引きをしていた。

 

しかし、お金の実態を捉えると、結局は信用を代替えとしてお金という硬貨や紙幣で交換しているに過ぎない。

 

ということは、圧倒的に人から信頼され、有言実行し続け、真実を説き続ければ、必ずや信頼が集まり、信用され、お金も人も集まる。

 

ならば、自分のやっているこの整体という事業に間違いは一ミリもないはず。そう捉える事も脳の観点かもしれないが。

 

お金を稼がないと、と捉えると本質が見えなくなるが、人のために何かをしてあげたいと思うと、本質に近づく気がする。

 

結局は、人は助けられたお礼に対して、お金を払っている。それが、子供の時はカードゲームだったし、駄菓子だったり、シャー芯だったりするわけだ。

 

私の整体理論を通して、様々な事物や人に当てはめていけば、無限にこの信頼関係は構築されるであろう。

 

かつての野口晴哉先生は、整体が人気すぎて、道場の入り口の外にも長蛇の列だったそうだ。

 

私もそんな彼の姿を今こそ、引き継いで、彼の思想、そして哲学をこの世に再び降臨させたい。彼が成し遂げられなかった夢を実現するために。

 

そう捉えると、お金に囚われる自分がちっぽけに感じる。時間の流れとともに、我が院は必ずや、繁栄する。まだ開院して13日。にしては早い成長ではあるまいか。

 

お金に目が絡むような暇があるなら、整体をさらに極め、あらゆる物事に落とし込み、万人を救う道を模索すべきであろう。

 

お金は自然と集まる。愛を持って人に尽くせば。お金がある、ないにとらわれていることに気づけた、いい日でした。

 

合掌

認められたいんだなぁ

私は世界一の整体師と自負している。なぜなら、自分ほど人の痛みを知り、その痛みを命をかけて治そうとしている人はいないからだ。

 

今日も整体を受けにきてくださった方が、先生はすぐに人気が出るから早めに来ないと整体を受けれなくなるや、先生のような整体は今までなかった、卒業させる整体院は無い、などありがたいお言葉をたくさんいただく。

 

当然自分も人間なので、そんなことを言われた日、お客様を見送った後、飛んで一人で喜ぶのだ。それくらい嬉しい。

 

なぜ嬉しいのか。自分の存在価値を認められたからだ。

 

またもや、自分の脳の観点、いわゆるエンジンが働きまくってるなぁと実感。そんな時もただただ、俯瞰する。嬉しいんだね、良かったね、と。

 

認められる、認められないというマルかバツかの思考ではなく、オールオッケー。どちらでもない、どちらでもない、深層の愛で接する。そうすれば、良い子も悪い子も差はなく、可愛い我が子に変わりはない。そういう気持ちで全ての物事に接すれば、承認欲求すら無くなる。

 

全ては愛である。そして、無限である。

 

認められたいという人間の欲求を俯瞰しながら、ああまた、褒められたいだねぇと自分を見てあげる。十分、今ここ完璧だから。大丈夫。

 

世界一脳のクセを攻略した、身体のクセのスペシャリストとして、令和元年、世界一の整体革命を行う。すべては、認められたいのではなく、無でのつながりのため。

 

合唱

自己啓発本に対する解釈

自分でも驚きだったが自分自身を高めるためにあらゆる本を読みまくった。経済本から、有名な芸能人の苦悩体験、偉人たちの言葉など。

 

しかし、結局、どれを読んでも悩みは尽きず、結局外に答えがないことに気づく。

 

身体の時と同じで、答えは外にはなく、内側にある。

 

それを明確に実感されてくれたのがらn-tech。

 

段階的な悟りの実践の中で、最後は落涙するくらい感動した、悟りの真実。本当に気持ちが楽になり、さらに、全てがないとわかったときの新たな発見。

 

それは、ある意味、全人類が誰でもつながることができる、たったひとつの真理。

 

それにアクセスできる権利、可能性に気づけたことが何よりも嬉しく、そう感じた瞬間、今までの本を全て捨てた。

 

脳の観点から解放される視点を持った今、自己啓発本は必要なくなった。なぜなら、いつでも偉人たちやあらゆる真理、そして、大尊敬している野口晴哉先生とも、全てを超えて繋がれることがわかったからだ。

 

この発見は大きい。不安になっても、必ず人と人の繋がりで、再起できることがわかる。真の繋がりで、人は可能性に満ちている。

 

経営者として、整体師として、一人の人として悩むことはあるが、すぐに帰れる場所が今ここにあることで、心の安定感が格別に違う。

 

自己啓発も、まさに今ここ。

今ここにあるということ。

 

合掌